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見慣れない段ボールを開けたら、こんなものが出て来て見入ってしまいました。尾崎豊さんのフィルムコンサート用のパンフレットで1986年にデザインしたものです。こうしてみるとずいぶん尖ったデザインをしていた気がします。アーティストにチカラがあるときは何をやっても許されるもので、その辺りのちょっとした傲慢さも随所に感じられます。ミラーコート紙にスミ一色で刷られた表紙にはプラスとマイナスの記号をコンセプチュアルに使い、扉にはトレーシングペーパーを二枚使ったり、本文用紙には上質のロストン紙とやりたい放題のデザインと贅沢な造本をしています。しかしこれはこれであの時代としては成立していたから不思議な気もします。十代で3枚のアルバムを出した後に活動を停止し真っ白の状態になってしまった尾崎さんを無意識に記号化したのかも知れません。写真は日比谷野音、大阪球場、代々木オリンピックプールなど伝説となった公演を撮ったものを使っています。 (Tajima)
Posted by 田島照久 thesedays
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[デザインの話
BEATCHILD


事務所の改造は既に一ヶ月以上続いていますが、忘れていたものが出て来る度にいろいろ思い出しています。
このポスターは1987年にデザインしたもので、当時の日本を代表するロックアーティストたちが阿蘇の山中に集結して行われたオールナイトイベント「BEATCHILD」のためのものです。この「BEATCHILD」は大規模で画期的なロックイベントだったにもかかわらず、大型台風の直撃を受けて壮絶な結果となってしまったものです。冷たい暴風雨のなか、人里離れた山の中のぬかるんだ丘陵地で立ち続けるしかなかった観客は、寒さに震えながら12時間を過ごすしか無く、途中で諦めて山を降りて行くひとや具合が悪くなって救護を受けるひとが続出しました。ぼくはステージ下で写真を撮っていたのですが、カメラは直ぐにダメになって、観客席から流れてくる泥水の中で何度も足を滑らせては転倒していたので、あまり良い写真が撮れなかった記憶が有ります。中盤で現れた尾崎くんの第一声は「みんな大丈夫?」でした。ステージ上には水が溜まっていて、そのなかに尾崎くんが滑り込んでいくとダイビングしたように水しぶきが飛び散っていました。

実は「BEATCHILD」というタイトルは僕が名付けたものです。このイベントのアートディレクションを頼まれた時に、なんか良いタイトルはないですかね、とプロデューサー氏に言われ、この前代未聞の初々しい企画に参加するアーティストと観客と製作陣のすべてを表す意味で「BEATCHILD」という言葉を提案したら、その場で採用されました。いまになって思えばこの「BEATCHILD」とは、いみじくも、少し無謀だった日本の巨大野外ロックイベントの黎明期を意味している気がします。まあ、ウッドストックをはじめ、この無謀さがあってこその野外ロックイベントなのでしょうが、犠牲者が出なかったことがせめてもの救いだったと思います。時間が経った今となっては参加した人の多くが、辛かったことも含めて良い思い出として残っているのではないでしょうか。 (Tajima)
Posted by 田島照久 thesedays
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